ブログネタ
おんがく に参加中!
 Make You Feel My Love / Bob Dylan の歌詞和訳です。邦題は『心のままに』。アメリカのドラマ、Gleeのシーズン5でも歌われていました。

目次

1.
Make You Feel My Love の動画
2
. Make You Feel My Love
の歌詞和訳
3.
歴史上最も偉大な100人のソングライター第1位

 では、どうぞごゆっくりお楽しみください♪♫





 To Make You Feel My Love - Billy Joel and Bob Dylan

 
【上】Make You Feel My Love 歌詞
【下】メイク ユー フィール マイ ラブ 和訳

When the rain is blowing in your face,

雨が顔に吹き付けているとき
And the whole world is on your case,
世界中から批判されているとき
I could offer you a warm embrace

僕はあなたを温かく抱きしめる
To make you feel my love

あなたに愛を感じてほしいから

 
When the evening shadows and the stars appear,

夕方になって影が濃くなり、星が顔を出すとき
And there is no one there to dry your tears,

あなたの涙をふく人が誰もいないとき
I could hold you for a million years
僕はあなたを抱きしめる ずっといつまでも
To make you feel my love

あなたに愛を感じてほしいから

I know you haven't made your mind up yet,

まだあなたは決心がついていないでしょ?
But I would never do you wrong

でも、僕はあなたを見捨てないから
I've known it from the moment that we met,

あなたと初めて会った瞬間にそう思ったんだ
No doubt in my mind where you belong

僕の心に迷いはないよ そこにはあなたがいるから

I'd go hungry, I'd go black and blue,

お腹が空いても、あざができるまで叩かれて
I'd go crawling down the avenue

道を這って進んででも
No, there's nothing that I wouldn't do

どんなときでも僕はあなたを想っている
To make you feel my love

あなたに愛を感じてほしいから

The storms are raging on the rolling sea

荒れる海で、嵐は猛威をふるう
And on the highway of regret

でも、後悔の道の上には
The winds of change are blowing wild and free,

変化の風が自在に吹いている
You ain't seen nothing like me yet

あなたは僕のように何も見えなくなってしまうことはないさ

I could make you happy, make your dreams come true

僕ならあなたを幸せにできる あなたの夢を叶えられる
Nothing that I wouldn't do

できないことなんてないんだ
Go to the ends of the Earth for you,
あなたのためなら地の果てまで行けるよ
To make you feel my love

あなたに愛を感じてほしいから
To make you feel my love

僕の愛を感じてほしいから


歴史上最も偉大な100人のソングライター第1位

 ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカミュージシャン。出生名はロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)だが[1][2][3]、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名している[4][5]

風に吹かれて」、「時代は変る」、「ミスター・タンブリン・マン」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「見張塔からずっと」、「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。

グラミー賞アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。また長年の活動により、2012年大統領自由勲章を受章している。そのほか詩人としてノーベル文学賞の候補者に名前が上がっているほか[6]2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞した。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第18位[7]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第2位。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」において第1位。
 幼少時より家にあったピアノを独習[21][22]。「ラジオを頻繁に聴いていた。レコード店に入り浸り、ギターをかき鳴らし、ピアノを弾いて、自分の周りにはない別の世界からの歌を覚え」て育つ[23]。初めてのアイドルはハンク・ウィリアムズ[24][25][26]。ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、ディランもまたエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組んで演奏活動を始める[27][28][29]。ハイスクールの卒業アルバムには「リトル・リチャードと共演すること」が夢だと記したりもしている[30]1959年夏、ノースダコタ州ファーゴエルストン・ガンという名でボビー・ヴィーのバンドにピアノ弾きとして入り、彼のバックでステージを数回経験する[31][32]

1959年9月、奨学金を得てミネソタ大学に入学するも半年後には授業に出席しなくなる[33][34]。持っていたエレキ・ギターアコースティック・ギターに交換[35]ミネアポリスフォーク・シンガーとしての活動を始め[36]、この時にボブ・ディランと名乗っていた[37]。「ボブ」はロバートの愛称ボビーから、「ディラン」は詩人ディラン・トーマスから取った[38]とも、また叔父の名前であるディリオンから取ったとも述べている[注 2]。アメリカ土着のブルース、ヒルビリーへの傾倒を深めていたこのころ[39]ウディ・ガスリーのレコードを聴き大きな衝撃を受ける[40]