「人気者ってどういうことかわかるよ」っていう歌詞はカッコいいですね。成功して、心身共に強くなった人だけが言える言葉のひとつですね。
ララララ
You were the popular one, the popular chick
昔のあなたは人気があった みんなのアイドルだった
It is what it is, now I’m popular 'ish
それが今では私の方が人気者
Standing on the field with your pretty pompons
あの頃のあなたは可愛らしいボンボンを持ってフィールドに立っていた
Now you’re working at the movie selling popular corn
それが今では映画館で働いて、ポップコーンの方が売れてるのね
I could have been a mess but I never went wrong
昔の私はめちゃくちゃだったけれど、ひどい間違いだけは犯さなかった
'Cause I’m putting down my story in a popular song
そして、そのときの経験を曲に書いたの
Said I’m putting down my story in a popular song
そのおかげで私はヒット曲を書けたのよ
My problem, I never was a model
私の問題は、魅力的な人にはなれなかったこと
I never was a scholar
頭のいい優等生でもなかったし
You were always popular
でもあなたはいつもみんなから人気があって
You were singing, all the songs I don’t know
人前でも歌をうたっていた 私の全然知らない歌を
Now you’re in the front row
それが今では、あなたが最前列で私の歌を聴いている
'Cause my song is popular
しょうがないよね 私の歌は人気があるから
Popular, I know about popular
今では人気というのが、どういうことなのかちゃんとわかるの
It’s not about who you are or your fancy car
その人がどういう人で、どんなカッコいい車に乗っているのか そんなことじゃない
You’re only ever who you were
自分はただの自分でしかないってこと
Popular, I know about popular
今では人気というのが、どういうことなのかちゃんとわかるの
And all that you have to do, is be true to you
必要なのは自分に正直になることだけなの
That’s all you ever need to know
あなたがしなくちゃいけないのはそれだけ
So catch up, 'cause you got an awful long way to go
ほら、急がなくちゃ ずいぶん離れてきちゃったから
So catch up, 'cause you got an awful long way to go
ほら、早くおいで 私たち、ずいぶんが遠く離れちゃったのね
ミーカ(MIKA)についての情報↓
ミーカ(Mika, 1983年8月18日 - )は、レバノン出身、現在ロンドン在住のシンガー・ソングライター、音楽プロデューサー、グラフィック・デザイナー。正式名はマイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニア (Michael Holbrook Penniman, Jr.)[1][2][3] 。またミカ・ペンニマン (Mica Penniman のち Mika Penniman) としても知られる。2007年にデビュー。裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしばフレディ・マーキュリー、シザー・シスターズ、エルトン・ジョンらと比較される。そのスタイルからゲイではないかという憶測が生じ、本人はそれについての言及を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌『ゲイ&ナイト』で「僕のことを定義づける言葉が必要なら、バイセクシュアルを使えばいい」と述べた[4][5]。
レバノンのベイルートでアメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉がふたり、妹と弟がひとりずついる。
1歳の時に内乱が再燃し収拾不能な状態となったため、家族は国外退去を余儀なくされてパリへ移住した。さらに、9歳の頃、こんどは父親がクウェートのアメリカ大使館に人質として監禁されると、一家はイギリスの庇護を受けるためにロンドンに移住する。そうした波乱に満ちた少年時代に、オペラ声楽の訓練を受けたのきっかけとして音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、『Angry』というピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。
ロンドンではフランス人学校に入学するが、散々なイジメに遭い、難読症にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、ロシア人のソプラノ歌手に歌の指導を受け始めた。大学はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学するが1日で退学し、名門音楽学校である王立音楽大学に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。
好きな音楽のジャンルが極めて広い。よく知られているものとしてはベック、ビョーク、プリンス、セルジュ・ゲンスブール、ファイルーズ、ハリー・ニルソンなど。
5オクターブの音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。
日本語に堪能で、インタビューではJ-POPに大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、椎名林檎、パフィー、菅野よう子、イエローモンキー、三味線の吉田兄弟などの名を上げている[7][8]。
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